空想と現実

空想と現実の違いって一体なんだろうか。

こう考えた時に何か近い感覚を感じた。
 
過去・現在・未来という時間軸である。
 
どういうことかというと、
空想、過去、未来って、
どれも自分から感覚的に遠い。とても遠い。
 
私たちが触れることのできない世界で、
いくら頑張っても過去は変化しないし未来も決定できない。
(人間が三次元にいる間は)
 
空想も、あくまで頭の中での話であって、
目の前のことが動くわけじゃない、
目の前が動くときは常に、今で、現実。
 
つまり、今、現在は僕たちから感覚的に近い。
 
では、今に生きて現実しか見ないことが必ずしも正解だろうか。
 
よく考えてみると、
人間は何をするときでも基本的に、
一度、空想を描いてから現実の行動すると思う。
反射とか、感動は例外かもしれない。
 
しかしながらやはり行動は
空想から始まってるような気がする。
 
そして、過去、未来に関しても
空想の中ではそこそこシミュレーションできる。
 
空想世界で
過去を使って今を認識して未来を考えて
現実に行動する。
 
行動ってこのプロセスがほぼほぼ入ってると思う。
 
そして、行動に関するということは
同時に個性や習慣とかにも直結してくると思う。
 
主観、客観もここがポイントではなかろうか。
 
人間が今というものを認識するとき、
その認識の根拠は、必ず過去の経験に基づいてる。
 
ってことは、
人間の人生は誰しも同一ではない。
人によって過去は違う。
 
じゃあ人によって
今、現在の認識が違うのは当たり前
で、きっとこれが主観なのだろう。
 
じゃあ客観とはなんなのか?
真の客観って人間である以上不可能に思える。
「これが客観だ」と言った時点で、考えた時点で
それは主観でしかない。
 
数字はどうだろう。
数字も実は捉え方次第でその意味することは大きく変わる。
客観というよりは、共通理解の幅が大きい
と表現する方が良いのではないだろうか。
 
「客観的に考えて」というよりも
「共通理解から考えると」という方が
しっくりくる。なんとなく堅苦しくはあるが。
 
客観とは、その場における
概念の一致とも言えるのではないだろうか。
 
こう考えると、やはり僕は
人の考え方などを、否定しきることはできないし
評価を断定できない。
 
「そういう考え方もあるんだね」、
「僕もそう思う」「僕は違う考え方を選ぶ」
ぐらいのものではないだろうか。
 
なんとなく無関心な気もする。
他の考えを吟味した結果
それを受け止めることができたら、
無関心ではなく、尊重に変わるだろう。
 
これが、主観を求められた質問なら
そこで初めて断定表現が使えるかもしれない。
自分のことを、「客観的に」観測できるならば。
 
 
話は飛躍したが、僕の主張は
 
過去、未来を使うのはもちろんだが、
まず、今にフォーカスする。
昨日の失敗を
感情だけで引きずるのではなく、経験にする。
明日のことを心配するのではなく、準備をする。
 
現実にこだわりすぎず、
空想から自由に発想していこう。
 
空想に終わるばかりじゃなく、
現実にもしていこう。
 
 
過去、未来=空想
今=現実
 
と結んだのになんとなく矛盾した気もする。
 
要は、使い方とバランスであると言えるだろう。
 
過去未来を使って空想して
今行動して
過去未来空想を現実を創る、と言ったところか。
 
結局人間って、時間の連続と
自分の感じ方次第な生き物である。
 
 
人間は根源的に時間的存在である。