Lo-Fi Life

世の中を本質的に楽しむことをテーマにしてるサラリーマンのブログ。

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人生再興日記を始める日のこと。

人生再興日記
 
はじめまして。Ichigoh(いちごう)です。
 
僕は2019年8月14日現在、
26歳の社会人1年目である。
 
今朝、泣いてしまった。
ベンチプレス100kgをやりながら。
 
「俺の人生こんなはずじゃなかった」
 
この涙を機に
僕は人生を向上させるブログを
始めようと思う。
 
 
現在、
借金30万円アリ
彼女ナシ
月収16万円
ぽちゃまっちょ
 
というのが僕のスペックだ。
 
このブログを始めるにあたって
今回は自分の略歴を語っていく
自分語り回とする。
 
次回からは具体的な戦略に移行する。
自分語りを入れるか迷ったが
読者の方々自身の歴史と
僕の歴史を見比べていただければ
今後面白いかなぁと思い掲載した。
 
 
 
【自分語り】
 
自分で言うのもなんだが
小さい頃の僕は非常に優秀だった。
 
家庭環境にも恵まれており
小学生の頃は空手で準優勝2回
スイミングで大会新記録1回
クラスではリーダータイプ。
 
中学時代は身体も育ち
初心者からの下克上で
サッカー部副キャプテン
50m走1500m走は共に学年上位数%
平泳ぎクロール50mは学校で1位
偏差値は60台後半
 
いわゆる、文武両道というやつだった。
 
高校受験を控え
「ロケットの部品を作るために町工場に行きたい
だから、工業高校に入りたい」
と親に伝えると
人生でこれほどないくらい拒否された。
そして
「お前は大学に行ける高校に行け」と。
そういえば小さい頃から
「良い大学に入りなさい」
「本屋で堂々と専門書を読んでほしい」
と言われていた。
 
結局そこそこの進学校に入学。
僕の入学した高校は当時
学力至上主義な先生がおり
成績の良いものは何をしても許され
成績の悪いものは教師に土下座させられるという
アニメ暗殺教室に出てきそうな学校だった。
 
そこで帝国主義に走ればよかったのだが
当時の僕は
「勉強できる奴=悪い奴」
と感じてしまいドロップアウトする。
 
高3の6月には偏差値28という
奇跡的な数字を叩き出した。
推薦で入れる大学はあったが
 
「このままでは腐ってしまう」
 
という寒気がしたので
親に頼み込み塾に入れてもらう。
 
本気で
「俺はこの扉を開けて人生を変える」
と思いながら(声に出してたかも?)
初めて塾の扉を開けた。良い思い出である。
 
担任には、
「推薦の大学に行け」と100回は言われたが
外部入試でその大学(私立)に合格したとき
初めて「チャレンジしてみろ」と言われた。
素直には喜べなかったが
担任にそう言わせたことが誇らしかった。
 
宇宙エレベーターという存在を知り
ロマンを感じ「炭素繊維の研究したい!」と
工学部を受験。
結局1年目はダメで一浪で工学部に入学。
 
一人っ子だった僕は
大学というと
テレビで見るハーバードやスタンフォードのイメージしかなかった。
「とにかくワクワクが止まらないところ!」
というイメージである。
 
しかしながら実際に入学してみると
高校の延長線のような感じであった。
今から思えば当たり前である。
基礎ナシにロマンスはあり得ない。
あの頃の僕に伝えてやりたい。
 
次第に授業についていけなくなり
軽音楽部に没頭し始める。
 
当時の僕は断ることが苦手だったので
誘われたバンドは全てオッケーしていた。
その結果、手が回らなくなり
周囲の信頼を失いまくった。
 
そして
自己顕示欲と嫉妬心などが加速して
最終的にはしばらく引きこもりになった。
 
1人でタバコを吸いながら
ぼんやりする日々をしばらく続けた。
「俺は今何が苦しいんだ?」
「俺だって、いつか、やってやる」
「俺は何をしてるんだ」
 
この頃の心の支えは当時の彼女だけだった。
 
様々な悩みを抱えていた日々に変化が起きる。
 
なんのきっかけか、
かの有名な「7つの習慣」という本を
たまたま手に取った。

 
相変わらずタバコをふかしながら
読み進めていると、かなり序盤のページの
パラダイムシフト」と言う項目で
またまた涙腺が崩壊する。
 
自分の苦しみの元がわかったのだ。
 
僕は「炭素繊維の研究がしたい」とか
言ってたものの、それは後付けの理由であり
「親のために大学に行っている」
と言う意識だった。
親からすれば「息子が大学に行きたがってる」と
必死のパッチで大学受験や生活を
サポートしてくれていたのだが
一人っ子の直系の僕は、
謎のプレッシャーを感じ
自分の夢や希望を考えないようになっていたのだ。
 
大学に行くということも
結局自分で選択したにもかかわらず
全て親のせいにしていた。
そのことに気づいた。
 
自分自身を騙し続けてきたこと
親を騙し続けてきたことへの
罪悪感から涙が止まらず
 
これからはもう嘘はつかない、と
親に事の次第を電話で話した。
 
しかし、当然親からしたら
「は?」という感じである。
 
2年ほど親と頻繁に言い争い
最終的に以前より良い関係に落ち着いた。
 
あの時に
自分の無責任さに気づいて良かった。
 
その後親に
「で、あんたは何がしたいの?」
と言われて頭が真っ白になった。
 
中学卒業以来、
自分が本当にやりたいことなど
考えてこなかったので
自分が何がしたいかわからない!!!
 
ずーっと考えた。
ずーっと。
 
そしてポンと浮かんだ単語が
 
「起業」
 
である。
僕の一族はお堅い人ばかりなので
起業という単語が出てくることはない。
それどころか、お金の話すら
少しタブーな感じすらしていた。
 
そんな環境で生まれ育った僕の頭に
なぜ「起業」という文字が出てきたのか
未だにわからないが、
とりあえず日常的に
起業という単語を連発してみた。
 
すると不思議なことに
起業活動をしている人とたくさん知り合い
 
イベント団体を立ち上げ
非常に楽しい数年間を過ごすことができた。
 
その後、僕は1年留年したのだが
この期間にイベント団体が解散
私生活でも様々な重大な事件が起きてしまった。
その内容はまた別の機会に。
 
なんだかんだゴタゴタしてるうちに
「起業」「起業」と息巻いてた僕は
親への体裁と起業に対する恐怖心から
色々言い訳をして
フツ〜に黒いスーツを着て就活をすることになった。
 
めちゃくちゃ面白くなかった。
面接で個性がある、という雰囲気を
少しでも出したら面接官は嫌な顔をしていた。
内定は全然取れない。
当たり前だ。
僕は「ふん、誰が下僕になるか」という
傲慢な態度を貫いていたのだから。
 
結局色々な会社をみた結果
現在の会社に入社。
就活でいろんな会社や社長をみたが
今の会社が1番良い様に見えていた。
 
僕は今、この時の
自分の選球眼の無さに
ドン引きしている。
 
いざ入社してみると
入社前に言っていた
業務内容
初任給
休日など
何もかもが説明と違う。
ここでは書けない様なことも沢山ある。
 
日々、労基に相談が必要な労働を続け
連勤が続き
付き合って7年目の彼女とも別れ
貯金がなくなり30万の借金が手元に残った。
今の収入は
毎月せいぜい15.6万である。
 
結果的に僕は
趣味の筋トレにすら集中できなくなり
ベンチプレス100kgをあげながら
泣いたのである。
 
「俺の人生こんなはずじゃなかった」
 
朝早くにジムに行っていた僕は
すぐに帰宅し、
起業活動時代の友達に
電話をかけまくった。
早朝から迷惑な話だ。
 
みんな優しく迎え入れてくれた。
 
そこで
「お前、損切りヘタかよ笑」と言われ
僕は「ハッ」と我に帰った。
 
小さい頃から
こういう生き方だけは嫌だな
と思っていた生活を、今、僕は送っている。
 
「俺は何をしてるんだぁぁぁぁぁあ」
 
テストステロンとアドレナリンが爆上がり。
こんなところで凹んでる場合じゃねぇ。
年齢を言い訳にするな。
親のせいにするな。
会社のせいにするな。
 
全部全部自分の責任だぁぁぁぁ!!!
 
今こそ、立ち上がろう!
 
今の生活は安定している。
しかし「安定してちょい不幸」なのだ!
 
こんな人生、
生きてる意味を感じねぇ!
 
死んで生きられるか!
 
と厨二心が大爆発し
新たな一歩を踏み出すことにした。
 
このブログは、そんな僕の
現在進行形の物語である。