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「あいつホンマに頭悪いわ」

A「だから、〇〇〇〇って言ってるやん」
B「わかってるよだから〇〇〇〇やって」
A「いや、わかってるよだから〇〇〇〇やって」
B「だ〜か〜ら〜」
A(Bってなんでこんな頭悪いんやろ)
B(Aってなんでこんな頭悪いんやろ)
 
こういう不毛なやりとりは身近によくある。
日本語なのに通じていない。
 
一体何がこのすれ違いを生むのだろうか。
 
人には知能の差があるから?
文系理系?年齢?性別?宗教?
 
確かにこれらの要因は大きいだろう。
だがもっとこう、根本的な要因…
 
言葉によるコミュニケーションという
システムに問題があるのではないだろうか。
 
そもそも、言葉によるコミュニケーションは
どんなプロセスで行われているのだろう。
 
 

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伝える側は、まず「伝えたいイメージ」を
自分の中の「言葉のイメージ」のブロックで構築し
発信する。
 

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伝えられる側は、受信したブロックを分解して、
自分の中の「言葉のイメージ」に置き換えて解読し、
脳内にイメージを再構築する。
 
 
つまり、伝えるイメージを、
言葉という共通の道具を使って記号化して
やりとりをしているということになる。
 
しかし
そもそも共通の道具である「言葉」の定義は、
人それぞれの概念であり、とても客観的なものとは言えない。
 
共通の部分があるというだけで、
完全に一致しているわけではないのだ。
人それぞれの過去の経験や環境が
人それぞれの言葉の概念に大きく影響を与えることになる。
 
よく考えてみれば、
小さい頃は、言葉のすれ違いをあまり感じたことがない。
これは、比較的似たような環境の
小さなコミュニティで生活していることと、
経験値が少ないために、概念がまだ発達しておらず
言葉のイメージの細かいニュアンスを用いた
表現をしないからであろう。
 
コミュニケーションがうまく取れないという問題は
現代でも大きい問題である。
 
それでは、言葉というものは、
常に厳密なものでなければいけないだろうか。
 
僕は厳密でないことも重要だと思う。
 
言葉は、その自由度があるからこそ
様々な美しさを生み出すことができる。
 
そしてこの自由度の中
伝える側と伝えられる側のイメージが、
しっかり結ばれた時、
両者に広がる世界は共有され
両者の世界の障壁はなくなる。
なんという一体感。
 
これは、完全性からは生み出せないだろう。
 
伝わらないことを
相手の責任にする前に
 
伝える側も伝えられる側も
この一体感を目指してはどうだろうか。
 
 

空想と現実

空想と現実の違いって一体なんだろうか。

こう考えた時に何か近い感覚を感じた。
 
過去・現在・未来という時間軸である。
 
どういうことかというと、
空想、過去、未来って、
どれも自分から感覚的に遠い。とても遠い。
 
私たちが触れることのできない世界で、
いくら頑張っても過去は変化しないし未来も決定できない。
(人間が三次元にいる間は)
 
空想も、あくまで頭の中での話であって、
目の前のことが動くわけじゃない、
目の前が動くときは常に、今で、現実。
 
つまり、今、現在は僕たちから感覚的に近い。
 
では、今に生きて現実しか見ないことが必ずしも正解だろうか。
 
よく考えてみると、
人間は何をするときでも基本的に、
一度、空想を描いてから現実の行動すると思う。
反射とか、感動は例外かもしれない。
 
しかしながらやはり行動は
空想から始まってるような気がする。
 
そして、過去、未来に関しても
空想の中ではそこそこシミュレーションできる。
 
空想世界で
過去を使って今を認識して未来を考えて
現実に行動する。
 
行動ってこのプロセスがほぼほぼ入ってると思う。
 
そして、行動に関するということは
同時に個性や習慣とかにも直結してくると思う。
 
主観、客観もここがポイントではなかろうか。
 
人間が今というものを認識するとき、
その認識の根拠は、必ず過去の経験に基づいてる。
 
ってことは、
人間の人生は誰しも同一ではない。
人によって過去は違う。
 
じゃあ人によって
今、現在の認識が違うのは当たり前
で、きっとこれが主観なのだろう。
 
じゃあ客観とはなんなのか?
真の客観って人間である以上不可能に思える。
「これが客観だ」と言った時点で、考えた時点で
それは主観でしかない。
 
数字はどうだろう。
数字も実は捉え方次第でその意味することは大きく変わる。
客観というよりは、共通理解の幅が大きい
と表現する方が良いのではないだろうか。
 
「客観的に考えて」というよりも
「共通理解から考えると」という方が
しっくりくる。なんとなく堅苦しくはあるが。
 
客観とは、その場における
概念の一致とも言えるのではないだろうか。
 
こう考えると、やはり僕は
人の考え方などを、否定しきることはできないし
評価を断定できない。
 
「そういう考え方もあるんだね」、
「僕もそう思う」「僕は違う考え方を選ぶ」
ぐらいのものではないだろうか。
 
なんとなく無関心な気もする。
他の考えを吟味した結果
それを受け止めることができたら、
無関心ではなく、尊重に変わるだろう。
 
これが、主観を求められた質問なら
そこで初めて断定表現が使えるかもしれない。
自分のことを、「客観的に」観測できるならば。
 
 
話は飛躍したが、僕の主張は
 
過去、未来を使うのはもちろんだが、
まず、今にフォーカスする。
昨日の失敗を
感情だけで引きずるのではなく、経験にする。
明日のことを心配するのではなく、準備をする。
 
現実にこだわりすぎず、
空想から自由に発想していこう。
 
空想に終わるばかりじゃなく、
現実にもしていこう。
 
 
過去、未来=空想
今=現実
 
と結んだのになんとなく矛盾した気もする。
 
要は、使い方とバランスであると言えるだろう。
 
過去未来を使って空想して
今行動して
過去未来空想を現実を創る、と言ったところか。
 
結局人間って、時間の連続と
自分の感じ方次第な生き物である。
 
 
人間は根源的に時間的存在である。
 
 
 
 

自己嫌悪ってなんであるん?

自己嫌悪。めっちゃある。
そこで、自己嫌悪がなぜ発生するのか考えてみた。
 
答えは簡単、
「理想の自分がいるから」
 
というわけで解決法も簡単
「理想の自分になればいい」
 
ここでよく
意識高い系の人たちは
PDCAサイクルを使おう!というわけだ。
 
ちなみに僕は
「意識高い系」と「意識高い人」を
区別して使っている。
 
世間では
意識高い系をバカにする流れがある
(し、僕も割とバカにする)が
言ってることはすごくいいこと言ってたりするのだ。
使えるものは使おう
 
 

!!!じゃあ僕はどうするのか。!!!

 
ということなのだが、
僕の自己嫌悪ポイントは
もちろん腐る程あるw
 
その中でも大きいものを三つ、
理想に近づけようと思う。
 
なぜ三つかというと、新しいことは
三つ同時に始めると継続しやすい
というのをなんかの本で読んだからだ。
一個に絞ったほうがいいような気がするが、
実は一個だとすぐに挫折してしまうそうだ。
三つやってれば、一個はダメでも
他がうまく行ってると、
流れでダメ状態から回復するらしい。
世の中絶対流れってあるよね!
 
僕の自己嫌悪ベストスリー
 
①勉強嫌い
②デブ
③後回しにする
 
①について、
そう、僕は超絶勉強苦手マン
春休みの今を使って
毎日「自主的に」勉強していこうと思う。
勉強に関して躓きのプロなので
何がダメかわかってる。
高校数学と分子軌道法
量子力学に固体物性などの
基礎的な分野だ。(ちな工学部)
 
理想の自分はもちろん、
勉強大好き授業大好きボーイだ。
 
色々書いたが
①については3月5日までに
 「オイラーの贈物」を制覇する。
 
②そう、デブです。
受験で15キロ太ってから
デブをキープしています。
今、173cm 82Kg 体脂肪率20%くらい。
 
理想の自分は、
この間フィジークで優勝した
Kanekinさんのような肉体。
 
食事制限と筋トレだ。
 
②について、日々の記録を
ブログであげていく。
 
目標は、三月終わりまでに
75Kgになることだ。
 
 
 
③後回しにしちゃうんです。
ちょーっとめんどくさいことにぶち当たると
全部後回しにしちゃう。
 
③について
「タスクが生まれたら48時間以内に着手する」
を守るようにする。
そして、自分の目先の快楽より、
タスクを優先していく。
 
だからブログ書くのが今楽しみだが、
一日のタスクが終了してからかく。
 
 
まとめると
①3月5日までに
 「オイラーの贈物」を制覇する。
②三月終わりまでに
  75Kgになる。
③「タスクが生まれたら
   48時間以内に着手する。  
 ③は期限とか設けにくいから、
   毎晩セルフチェック。
 
 
自己嫌悪をなくすには
①理想の自分を見つける
②具体的な目標を立てる
③行動する
④継続する
 
当たり前だけど忘れがちで
 難しいことである。
 
あなたがあなたの描く理想像になった時
どんな世界が広がっていますか?

 

ただ幸せになりたい。1万回失望しても。

僕は幸せだ。
五体満足だ。両親もいる。
恋人もいる。大好きな仲間もいる。
普通の生活を営むことができている。

人は、多かれ少なかれ
幸せな生き物だと思う。

どんな小さなことでも、
幸せを持っている。


こんにちは!
Ichigohです!

僕は今大学四回生で
来年も四回生笑

浪人もしていて、23歳になる。

僕はいつもいつも試験前になると
パニックを起こしたり、自分のことが嫌いになる。

「なんで僕は普通の人にできることができないんだ」
「勉強が嫌いなんじゃない
 やらされるのが嫌なんだ」
「なんだかんだ僕が悪いんだ」
「でも、そこらへんの大学生とは違う!
 僕は本当はこんなもんじゃないんだ」

 

「僕なんて消えてしまえばいいのに」

 

人が僕のことを褒めてくれることもある。
「人の弱さをわかる優しさがあるね」
「人にはない独特なユーモアがあるよね」
「努力できる人だよね」

とかとか。

でも社会的評価にはならないんだよね。
少なくとも今の教育にいる間は。


僕は今日からブログを始める。

それは、「幸せになりたいから」

自己嫌悪が激しく自己肯定感も低い。
自分の嫌いなところが山のようにある。

でも、自分の好きなところもある。
俺はこんなもんじゃねぇって気持ちがある。

たとえ世界を敵に回したとしても。

もっと幸せになりたいなら、
まず自分を変えることから始めよう!

今を楽しみに変えていこう!
もっと大きい目で
もっと大きい器で
もっともっと勇気を持って!

物事をシーンで見ずにストーリーでみよう。
長期的な努力で長期的な幸福を得よう。

「過去」を嘆いたり
「今」から逃げずに
「今」に向き合って
「今」を幸せに
「未来」を幸せに
「1秒前」を幸せに。

僕は継続が苦手だ!
よし、継続しよう!

日々の考え事の記録と
行動の記録をつけよう!

理想の自分に近づく方法は、
自分が毎日少しずつ変化すること!

今すでに、幸せは
たくさん持っている。

次は何をしようか。


あなたにとって、
最高の幸せとはなんですか?